2015年8月23日

真夏の夜の向こう側 - D'Angelo


photo by daisuke nakajima


D'ANGELO AND THE VANGUARD at ZEPP TOKYO ,Japan   2015.8.18 tue.

ディアンジェロ!!!





まさかの単独公演。

サマソニで来るってのを知り、
フェスか〜・・・と意気消沈。
しかし初来日(正確には違うらしいガ)、それだけで帰るわけないよな?
ミゴト、読みが当たる。
で、チケット抽選、ミゴトニ当選ト、アイナル。

しかしながら、
公式サイト上では、来日公演のアナウンス、かなり直前まで上がっておらず、
実は来ない、or手抜きなのかと・・・。
ターンテーブルをバックに、30分歌って終わりとか・・・。
勝手に不安になっていたのが、とんだ杞憂。
じっくり、開演時間を引っ張って、
ざわつく場内の前に現れたのは、
Bass×1・Drums×1・Guitar×2・Key×1・Horn×2(木管1・金管1)・BackVo×3(男2・女1)
10名のTHE VANGUARD。
おお!ピノ・パラディーノ!
知ってる限りでも、半数位「Black Messiah」レコーディングメンバー。
音が分厚い。
ビチビチの、筋肉質なグルーヴの中、
ディアンジェロはシャレオツなギターを抱え、登場。
運良くかなり、前方に行けたものの、
まわりの観客が、熱い熱い。
通勤ラッシュの山手線モッシュかよっていう、不快度指数120%。
オッサンには堪えた(笑)。

思えば、最初にディアンジェロを聴いたのは、
社会人2〜3年目のころ。
かつていた映像業界で、
低予算のディレクションを任され始めた頃、だったかな。
この頃、
全くプライベートがない、アシスタント時代からの反動で、
学生の頃に戻ったかのように、CDを買い漁ってた。
その、音楽が聴けなかった時期に
「ニュークラシカルソウル」(当時はこう言っていたような)という、
「気の利いた人たち」が、出てきたのを知り、
エリカバドゥ、マクスウェルらと共に、
彼の「Brown Sugar」を、若干の後追いで入手したのを覚えている。
元々、70年代のニューソウルは好きだったので、
同世代のアメリカ人達が、そういう音を出すのに甚く共感したし、
70年代の日本映画が好きな自分には、
言外に、肯定して捉えることができた(ってのは言い過ぎ?)。

数年後、「Voodoo」は発売と同時に購入。
聴いてあまりにもドハマリで、
ブラックミュージックって、こんなに進化のノリシロあるものなのか!と驚愕。
15年経っても、これ以上のものって、
未だポピュラーミュージックの世界で、無いんじゃないかと。
その後、彼はバンドにVANGUARDとつけたけれど、
前衛的なフォームを持った、このアルバムに、
背負う重さも、相当なものだったのかなと思う。
そして、そのころ恊働していたorito氏の存在が、
ボクのこの感覚を補強してくれたことは、特筆しておく。

ネオソウル(今はこう言うらしい)は、
割と、そこにジャズがどう入ってくるかが、
ひとつの方法みたいなところがあるなと、個人的には思っているのですが、
ディアンジェロは、行き過ぎないジャズが、
他者と一線を画しているんだよな〜!としみじみ思う。
言ってて、意味不明だけれど。
ソウル軸の人は、
安易に、オシャレ要素or知的要素でジャズ、
みたいになりがちだし、
逆にジャズ軸の人(ハーグローブとかグラスパー周辺)は、
理解あるよ的態度表明の、アリバイR&B感が、
少々鼻につく時がある(キライじゃないが)。
70年代のスティーヴィー・ワンダーは、
プログレッシブなジャズのイディオムに、貢献したと思うけれど、
感覚的に、その感じに近いかな〜。
ちゃんと、ファンクとゴスペルに戻るというか。

もうひとつ、プリンスとの対比で言うと、
プリンスは、節操無く、雑多な音色を臆面なく使う、
イイ感じのダサさ(ホメ言葉ネ)が持ち味で、
ディアンジェロは、
こと音色に関して、鳴りひとつを、削りに削る。
(15年空けちゃう位)慎重な、スタイリスト。
とはいえ、ステージを見て、
彼の中のプリンス愛は、ハッキリ感じました。


ライヴの彼は、無邪気な天然。
マッチョだけど、威圧的な感じはなく、
一生懸命いいステージにしよう!という、微笑ましいポジティブオーラ全開。
見事にイメージを覆してくれた。
勝手に、メディア嫌いで神経質なインテリマッチョのナルシストかと思ってた。
(ってどんなヤツだよ。)
同世代のカリスマ、と思えない程、若々しいというか、
むしろ、初々しささえ漂うステージングに、
それを支える分厚く冷静、大人なVANGUARD陣。
ピノがバンマスなんだろう、クリス・デイヴとのボトムが
ガッチガチにグルーヴを支配。
「playa playa」で、カッコ良すぎるベースに背筋が凍った20代後半
(15年前は、まだ20代だったもんな〜隔世の感。)
思い出し、感慨。
面白いことに、まわりのお客さんはなんとなく、
自分が「Voodoo」聴いていた頃の年齢に、近いみたい。
これ、「Black Messiah」リアルタイム世代、ってことなんだ。
いまだ最新、体感的に見えてきた、21世紀のブラックミュージック。

当日のセットリスト

キーボードからギターに持ち替え、
(実際にはキーボードのほうが、冴えた演奏をしてたけれど!)
バンドサウンドに完全にシフトしてきた、
ディアンジェロの、今現在。
最後に気がついたのは、
やっぱり、歌。
シャウトを内包した、歌唱のクオリティ。
コーラス3人も配して、分厚く呪術的な多重録音を、
絶妙に再構成してみせる。
ライヴでアルバム以上に歌うし、やたらウマい。
ご飯三杯はイケルってやつ。
ラスト「Untitled」のゴスペルフィーリング、
歌手としての力量に、気持ちよーく酔わされ、
茫然自失(&偽通勤ラッシュに疲労困憊)。




客電




りんかい線に揺られながら、
蒸し暑さに呆然なアタマ、再開発中の渋谷。

(願わくば、次はもうちょいレイドバックな状況で聴きたい・・・。)





Voodoo(2000)

Black Messiah(2014)